山町住民 志甫和彦はこう考えます・・・・
   ・・・・・かなり長文です。覚悟を決めてお読みください。

御車山展示に関して       高岡市木舟町 志甫和彦

今般知事の高岡訪問の際の発言について11月19日付富山新聞に取り上げ
られた御車山展示に関する社説や北日本新聞の同日のコラム欄「天地人」は、
展示方法はともかくとして、行政に対しその計画を具体的に検討すべきだと
促している点では投じた波紋は大きく極めて有意義だと考えられる。

桃山文化の薫り高い国指定重用文化財の経済的活用効果を期待しているのは、
観光を重要な集客産業と捉え、その一環として市の産業の一助にならぬかと
の期待感の表れと理解出来る。

過去においてこの会館の建設を巡っては、様々な提案が出されている。記憶
にあるところでは、おおよそ20年前近く高岡地域地場産業センター建設構
想にあたり、その側に展示が出来ぬかという打診や、非公式だが最近では済
生会病院移転跡地、あるいは古城公園の中などで、結果的には山町の了解が
得られないということで実現されていない。新設の建物、空家になりそうな
建築物などに魅力をつけようという意図からなのか穴埋め対策としての打診
が続いてきたのである。その度に巷の噂として、山町は高岡市の発展に対し
てエゴイズムで向き合っており協力的ではないとの印象を一般市民に与え、
山町住民は非難を浴びてきたが、事情が解らぬ一般市民にとっては山町のエ
ゴと取られても無理のない話である。

御車山保存会のなかでも、御車山は神事であり七基が揃って巡行して初めて
その意義があり単なる見世物ではないとし、常設展示により祭礼当日の巡行
の魅力が減少するのではないかとの危惧もある一方、実際の巡行を見物しよ
うという観客が増えるのではないかとの期待もあり、これは、映画の予告編
を見てそれだけで済ます人と本番を見に行く人との関係にも似ていて結論は
出しにくい。

高岡の御車山は宗教的には二上の築山神事の流れを汲み、形態や巡行は祇園
祭の流れを汲むと言われているが、京都には山鉾会館はないし、年一回の大
祭礼のために人が集まっていることも見逃せない。もっとも京都は他に観光
資源も多く山鉾会館を観光資源にする必要も無いだろうし、祇園祭は企業が
休業したり、数日を費やす大イベントであるから、高岡とは事情が大分異な
るのではあるが。

一方、年毎に観客数の減少が伺え高岡の活力の低下を憂える声も見逃せない。
観客数の減少を憂える声はすなわち高岡市の更なる活性化を望む声であり、
御車山を何らかの形で市の経済的活性化への一助にしたいという思いに通じ
るものなのである。山町の住民としては400年間守り続けてきたこの御車
山が高岡市の活性化の素材として期待されるなら展示に協力しようという雰
囲気は強いのである。

高岡市の数カ町の宝物に過ぎなかった御車山の真の価値を見出そうと研究し、
戦後いち早く国の文化財の指定を受けさたのも山町の一つ、木舟町の故柵田
喜作氏を中心とする山町の先達者達であり、どれだけの努力が山町の人々に
よってなされたかを知る市民は少ない。この苦労により旧町の宝物が高岡市
の財産として認識されるようになったものである。これも自分達の宝物を必
死で守ろうとする山町の先達の知恵であったことを記憶する人の数も少なく
なり、単に皮相的な現象のみ捉えて論議されるのは非常に残念なことである。

これは国宝に指定された瑞龍寺とは全く異なるケースである。瑞龍寺におい
ては住職は曹洞宗から任命された単なる管理者に過ぎないのであるが、それ
でも物事を行なうに当たっては住職の了解を得るであろう。まして御車山に
関しては山町が所有者なのであり、文化財指定の受けてその価値を天下に知
らしめた当事者であるため、行政といえども山町の同意を得ないことには行
動出来ない理由がここにある。

近年若干の補助を得ているからといって、400年の歴史的保存事実を補完
し得るものではないことを理解して頂かねばならない。

高岡の名物イベントとしてこの祭礼を捉えるなら、若干の補助は得ているも
のの殆どが山町住民のエネルギーによって自主的に運営されているイベント
であり、莫大な経費と莫大な数の役人を投入して行なっている「万葉夢幻譚」
や「万葉朗唱の会」そして「七夕祭」とは全く異なる住民パワーで継続されて
いることを理解して頂きたい。

山町としてもこの御車山を曳く祭礼は高岡市の祭りにしようという働きかけ
を永年努めて来たし、行政においてもこの市祭としての浸透に努力されてき
たことを我々は熟知しているのであるが、残念ながら御車山を所有する校下
以外への浸透はなかなか難しいようである。

伝統的行事はその伝統を継承するために極めて保守的に運営し他人の介在余
地を残さない。それ故に運営方法自体も文化財となっており、一般市民は観
覧すること以外では殆ど参加出来ないのも、文化財としての性格上や止むを
得ない面もあり、それだけ市祭として成り立ちがたい要因があるのかもしれ
ない。しかし山町の住人達は、これは紛れも無く高岡の歴史に基づく高岡全
体の祭であり、山町のみの祭ではないという認識を抱いている。

会館建設にあたっては、御車山の芸術的な部材の展示、例えば高欄、幔幕、
からくりの実演など周辺小道具や、歴史的な背景などの説明を加え、その芸
術的価値と文化性などの魅力を総合的に展示し、訪れる観光客に対しても祭
礼当日のリピート訪問を動機付けるようなものにしないと会館の意味が出て
こないし経済的波及効果もあまり期待出来ないと考えられる。かなりのスペ
ースも必要である。御車山は単体としては動くので、その一基の展示でも魅
力的だと容易に考えられがちだが、七基の絢爛豪華な桃山絵巻を見ている高
岡市民にとって、単体の展示はすぐ飽きられるのは予測に難くない。長期的
な観点からは単体のみの展示は集客効果もあまり期待出来ない。

これは市の観光行政の過去におけるあり方とも関連してくると思われる。外
部から訪れる人たちは、高岡は豊富な観光資源や風光に恵まれながらどうし
て世間に知らせていないのかと一様に首を傾げ尋ねて来る。そして、様々な
議論の挙句、観光設備の一貫性の無さと物語性の欠如、そしてPR不足であ
るとの結論を導く。これはまちづくりの手法にも表れている。地方都市とし
てのユニークさを打ち出す代わりに、中途半端な近代化都市を追ってみても
所詮何処にでもある魅力の無いまちづくりに終始するのである。

過去において「万葉集と前田利長」に頼っていては高岡の発展は望めないね
と、半ば自嘲気味に口に出す高岡市民も多かったのである。

右肩上がりの経済から脱却した現在、求められるのは心の安らぎ、人間性豊か
な地域社会であり、その意味から歴史に基づくまちづくりが見直されている。
そして人々はそれを求めて旅するのである。

幸いなことに当市においても、伝統的な街並みの見直しが始まり整備されつ
つある。このようなまちづくりの中にあって、観光による経済的波及効果を
狙うなら、やはり物語りの一貫性を考えるべきである。すなわち、御車山に
おいては、それを保存運営して来た町並みの中にその象徴的拠点施設として
建設する事が一番効果が上がろうと考えられるのである。山町で保存運営し
て来た御車山はその近くの施設で展示することにより、様々な関連情報の発
信も容易であり、下駄履きですぐ駆けつけて世話を焼きたいのである。

勿論、心理的には、山町の大事な宝物を山町以外に出して飾ろうなどという
意識は微塵もないだろう。もともとこの地区は商家を中心として300余年
間にわたり繁栄してきた町である。大正末期まで政財界の中心的役割を果た
してきた人物の末裔たちがひっそりと住んで商家としての更なる活動機会を
狙っている。

駅を中心とする道路拡幅、商店街の整備により末広町・御旅屋は昭和初期より
中心部としての地位を占めてきた。高岡の新しい中心部と言われながら、車
社会の出現に何らの対抗策も示し得ず、言葉はきつくなるが、自己努力を放
棄してすべてを行政に委ねてきたのである。高岡駅前の衰退を、あたかも行
政の責任の如く責任を転嫁し、行政に対し様々な条件を突きつけ、巧く土地
を売却出来た有力者達はその代金で魅力の無い商店街から離れ、また産業界
においても要求する条件を殆ど受け入れた行政に対し、ホテル候補者は新幹
線駅との併設が不可能を理由に計画を中止したりのテイタラク振りである。
駅だけを頼りにする商店街は、新幹線駅が出来れば更に凋落すること必死で
あろう。近くの富山や金沢の商店街は駅からはかなり離れてそれなりの商店
街を形成していることを思い起こして欲しいのである。商店街と駅の存在は
遠い昔に別のものになっていることを悟るべきではなかっただろうか。

従ってこのような場所に山町の宝物を預けては、見るに忍びない状態に追い
込まれるのは容易に予想がつくのであるし、全く歴史的に関係の無い場所で
御車山を飾ったところで活力をもたらすとは到底考えられないのである。観
光産業としても近代ビル内にポツンと置かれたディスプレー・マネキンに感
銘を受けるものはそう多くはあるまい。はるばる訪れる観光客にとってはそ
れこそいい迷惑というものだ。

中心市街地は時代によって変遷するのが歴史の流れである。この流れをいか
に受け止め対処して乗り越えていくかがそこの住民達の知恵と努力なのであ
る。

山町は数多くあった問屋群が問屋センターに移転するなど、近年は著しく活
力が衰えて来ている。あるものは残り、あるものは出て行く。しかし残った
住民達は力を合わせ御車山を営々と運営しているのである。

そして山町は8年にわたる行政共々の研究の成果として重要伝統的建造物群
保存地区の選定を受け、町並みの修復・復元を伴いながら新しく蘇ろうと意欲
を燃やしているのである。新しい時代の要求に合うやすらぎの心を与えうる
市街地の再構築である。一流の田舎としての高岡のアイデンティティを示せ
る地位を徐々にではあるが築き上げようとしているのである。御車山会館の
建設が実現するなら、この山町地区内において、象徴的な拠点として受け入
れよう、そしてそれが高岡市に高岡らしい活性化をもたらす一要因になるで
あろうと信じているのがこの地区の住民達の考え方ではないだろうかと私は
推察するのである。

高岡御車山保存会会長は、高岡市長の佐藤孝志氏である。「御車山会館建設
は市街地再開発のなかで山町に建設することになっている」と知事の発言に
対し返答されたのは、あながちビルの着工を急ぐ為だけではなく、上記事情
の如く山町の住民感情に通じているから当然の発言になったものと思われる
のである。

中沖知事の発言にしても、設置場所はさておき、それだけ御車山の高い価値
を認識いただいているという事は誠に有り難いことである。駅前の代わりに
山町筋での建築見込みが立った場合は惜しみない補助金をお願いしたいもの
である。これは富山県の魅力を増す一つの手段でもあるから、財政困窮の高
岡市に代わって精一杯のご協力をお願いしたいものである。

    高岡市木舟町61     志甫和彦



駅前再開発ビルに関する市と保存会との懇談会  志甫和彦

12月2日(日)午後1時より高岡関野神社において、再開発ビルにおける
御車山展示に関して御車山保存会が高岡市の説明を受ける場所が設けられま
した。私も保存会の一員として、参加させて頂きました。駅前の展示の賛否
はともかくとして、とりあえず知事発言に対して高岡市がどんな対応をして
いるのか、せめて事情を聞かなくては失礼であろうとの年番町の計らいであ
ったようです。それは、所有者である山町を抜きにして、他者の発言が一方
的に新聞紙上に報道され、無視しておいてもいいものかとの思惑があったか
らだと思われます。

出席者は保存会理事18名、高岡市からは、石黒助役と細呂木教育長及び野
村商工労働部長、それと中沖知事にこの件を取り持っているという市議の般
若氏でした。

 石黒助役から「再開発ビルでは、特に御車山に限定しているわけではない
が、入り口付近に大きな吹き抜け部分を作り展示館を計画しているので、そ
こに、御車山を展示できないだろうか」との相談がありました。勿論文化財
を傷めないような種々の設備をつけるものにするとの事でした。

保存会としては、各町での個々の決議が必要であろうが、常設展示というこ
とであれば山町で保存する実物は出せないだろうとの観測を返答。ただ、ど
うしてもと言う事であれば、レプリカを作られるのであれば、それ自体も問
題があるが、止むを得ないであろうという返答を出したわけです。

(裏を返せば、やんわりとした山町以外での展示お断りの発言と理解すべき
でしょう。)

一応石黒助役からは、12月末までに結論を出して返事が欲しいとのことで
したので再度理事会の開催の必要性がありますが、まず懇談会で予想した通
り、現物展示はお断りし、どうしても必要なら平成工芸品としてのレプリカ
は同意しましょうという方向へと向かうものと予測されます。

心無く思慮に乏しい人達が往々にして声を大きくして山町の非協力を叫び、
それを納得する一般市民も少なくはありませんので、山町の表現も微妙にな
らざるを得ない状況です。

レプリカに関しては、現在高岡で有する金工、漆芸など伝統工芸の技術保存
と伝承について、平成における技術を後世に残すものを作ってはと如何だろ
うかというのは山町より行政及び地場産業界への提案であり極めて有意義な
のではないか思います。

レプリカという用語を使ってますが、コピーと言うより御車山形式のものを
新調すると言ったほうが適切かもしれません。

御車山会館を作っても、秩父の展示館の様に一基はレプリカにしなければな
らないだろうとは常々話がでている経緯もあります。

これは、工芸都市高岡がその技術を残すためには、なにか大きなものを作ら
ないと技術の結集したものが残せないと思われますが、平成の御車山は正し
く挑戦に値する作品となるのではないでしょうか。

駅前ビル展示を抜きにしても、伝統産業がともすれば沈滞していると言われ
る昨今、現代金工・漆芸の粋を凝らした芸術品を御車山の形で残して欲しいも
のと考えるのは、恐らく山町住民だけではありますまい。数年後に迎える開
町400年を一区切りとして、このテーマに取り組んで頂きたいと思います。

レプリカと言っても後世に残すものとなると、木部だけでも作業前に10年ほ
ど乾燥する必要がありますので、とても3―4年で完成するものではありませ
ん。従って再開発ビルの竣工には間に合いませんので、レプリカ提案は、実質
的には展示をお断りしているのと同じだと言う理由がここにあります。

 注:保存会理事より、展示方法は、県の水墨画美術館並みの設備を有する
県営のものかとの質疑があったが、単に一基のみの展示で本格的な御車山展
示館ではないと
返答あり。又一部分の補助金が県から拠出されるのみのよう
であった。

これは、TMO(中心商店街活性化)で検討されている「御車山会館の山町筋
設置」とは何らのつながりを有さず、単に駅前再開発ビルに関して、という
事です。

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本物の曳山を作る場合、例えば車輪の木部に関しては、高山の屋台では、木
を乾かすだけでも十年間かけており、後世に残すものとなると、やはりその
程度のものが必要になるでしょう。高岡でも車輪の破損がひどい町のものは、
数年前に高山に木材の確保を依頼して乾燥をまっているものもあります。

レプリカを作る場合一体幾らほど掛かるのでしょうか。推測に過ぎませんが、
高山の中田金太氏が作られた「祭の森」の昭和・平成の屋台式山車は、一基約
2億円と聞いています。これは、特に名だたる名工が作ったわけではありませ
んが、その程度はかかるのでしょうか。

参考に申しあげますと、木舟町の鉾留めの胡蝶(約2.1mほどの大きさ)が
数年前に破損し、井波の木彫家と高岡の漆芸家(いずれも日展作家)に依頼し
て出来たものは、3年ほどを要して1200万円かかりました。町内負担が
10%必要ということは、わずか33世帯で120万円の負担になりますから、
かなり大きな金額と申せましょう.

これは小さな町内にとっては極めて痛い金額です。

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市側との懇談終了後、内部で交わされた話題としては、市長が新聞ではっきり
と御車山展示は難しいし、20億円も余分な経費は使えないと明言されている
のに、どうして急に展示館を作ることに決まったのだろうか、本当にそんな計
画で動いているのだろうかと訝しがる人もいました。ただ万が一それが実現さ
れるとなると、竣工の暁には、要請があれば、山町のお祝いとして、オープニ
ング時には、1〜2ヶ月程度の展示に協力しなければならないだろう、との声
が出ていました。精々その程度の期間であれば、ご祝儀として理事会でも可決
は可能と思われます。

伏木の提灯山は是非展示させて欲しいと言っているようで、どうせ展示物が必
要なら、それで良いのではないかとか、結構飽きっぽい高岡市民だから、展示
物を次々と変えていかないと魅力が無いだろう、などという雑談が交わされま
した。

また理事によっては、石黒助役は知事よりの発言をされているが、高岡の教育
長、商工労働部長はこの展示館案には決して積極的ではないという態度があり
ありと覗えるという見方をする人もいました。事実このご両人からは協力要請
の声は発せられませんでした。

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以上が私が理解した会合のあらましです。